最初に。

 私は人と会話するのが下手だ。

 

 あくまでその場で相手の言った事に対して反応して聞き返してその場限りの会話はできる。いや、もしかしたら次の話題を切り出すのは苦手だからやはりその場限りの会話も下手なのかもしれない。

 

 誰とでも話せるわけではないし相手の興味がある事を引き出して行こうと思っても相手がそのきっかけを提示してくれないと、やはりそれを引き出すこともできない。

となるとやはり私は会話が下手なのだろう。

 

 会話は相手とのキャッチボールとよく言うが、それを成立させるためにはお互いに相手の構える位置を察して、そこを狙ってボールを投げなければいけない。

 私の場合は、たまに相手からのボールを見て自分の中でそのボールをキャッチした気になり、相手が投げた物とは違うボールを、相手が思っているのと違うところに全力投球してしまうことがある。たまにじゃないな。かなりある。

 聞いて自分の中で返事をしたつもりになってしまうんだ。そしてそれに対して思ったことを少し途中の返答を吹っ飛ばして話してしまう。やはり下手だ。

 

 ならばどうだろう。私の意見なんて求めずにひたすら相手が永遠と話してくるだけの会話と呼んでいいのかわからないような物ならできるのか。これは下手とか以前に私がそれに付き合う気がない。何が楽しくて私の時間を相手の自己満足のための独りよがりな演説に付き合わねば行けないのか。残念ながら私はそこまでお前に興味がない。お前のことが好きな人間でも集めて配信でもしていてくれ。あれはバッテイングセンターでボールがくる位置に固定されて永遠にボールを投げつけられるような物じゃないか。昔邦画で見たな。ぶつけられていた人は死んでしまったっけ。私もそんなものに付き合わされたら心が死んでしまう。

 

 逆に私が相手に言って聞かせる話はと言うと。残念。私は相手が求めるような面白い話は提供できそうにない。ましてや配信で一人で永遠話すような独りよがりの演説もだめだ。あれは…素直に恥ずかしいし。そんな他人に堂々と話すほど私は私の中の感情や考え方をすぐに組み立てて言語化することができてない。

 

 ならなぜ私がこんな文章を書いているのか。人と話すのが苦手だから、自分の価値観や考え方に自信なんてないから、一度自分で自分を知るためにも文章にまとめてみようと思ったからだ。そしていっそのこと誰かにキッパリと否定されるなり、ほんの一部でも肯定されるのもありだと思ったからである。

 

 もしこれを読んだ貴方が欠片も私の意見に何も思うところがなかった場合は、こんな人間もいるのかと。自分と違う未知の生物に偶然遭遇してしまったとでも思ってほしい。

 

 ほんの少し私の我儘な願いを言うのであれば、この散文を読んでどこかの誰かの気が少しだけ楽になってくれたら私は嬉しい。書き手と読み手の対話に奇跡的に成功し、もしも貴方の心が少しだけ楽になるのだったら私が一人で苦しんだ過去が少し報われる気がするんだ。

 これは、本当は自信のない私の精一杯の虚勢の寄せ集めだ。人間はそんなに強くない。強くなくて良いと思う。

苦しかろうが辛かろうが私は今日まで生きている